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満面に浮かぶ信長の気楽そうな微笑みに、濃姫はどこか救われる思いがした。
「三保野に叱られました。あのような厳しい態度ばかりとっていると、殿に愛想をつかされてしまうと。
私が明け透けに物申せるのは、相手が信長様であるが故じゃと」
「ははは、確かに。それはそうやも知れぬなぁ」
「もしもこれが尋常な殿御ならば、殿は今頃そく──」
濃姫は側室の件を言いかけて、そのまま唇を口内に押し込むようにキュッと口をつぐんだ。
「“そく”、何じゃ?」快速瘦面
「あの、いえ……そ、即、離縁していたであろう…と、そう言われて」
「離縁? これしきの事で随分と大袈裟な言い様じゃな」
「三保野はそういうおなごなのです。忠実ですが、とかくお節介焼きで、小賢しいの侍女なのです」
「忠実だが節介焼きで、小賢しい…、まさにそなたの事じゃな」
きっと主人に似たのであろうと信長は笑った。
「まぁ、少なくとも私は三保野のような昼行灯ではございませぬ」
濃姫がぷいっと顔を背けると、橋の袂(たもと)で他の侍女たちと共に控えていた三保野本人と目が合った。
「ゴホンッ」と咳払いをする三保野の膨れっ面を見て、濃姫と信長は弾(はじ)けたように笑った。
やはり殿とは…この先も、こうやって笑い合っていたい。
仲違いをしても、歪み合うても、その末には必ず、こうして笑顔と笑顔を向け合える夫婦でいたい。
濃姫は心からそう思った。
「殿に一つ、お願いがございます」
「願いとな」
「このような事を申すのは厚かましい限りやもしれませぬが、どうか……どうかいつまでも、濃だけの殿でいて下さいませ」
「急に何を申すのだ」
「私は必ず、今よりももっと良き妻になります。いずれ必ず殿のお世継ぎも産んでみせます故、どうか…いつまでも濃の側にいて下さいませ」
口調こそ静かなものであったが、信長に当てられた濃姫の眼差しは必死そのものだった。
何もこんな曖昧な言葉を告げたかった訳ではない。
本当は、側室などお持ちにならないで下さいませ、と声を大にして叫びたかった。
が、僅かながらの理性と、那古屋城主の正室という立場がそれを制していた。
濃姫は、今の自分が口に出来る最大限の無礼で、その内なる想いを信長に伝えようとしているのだった。
「……」
信長は妻の想いを察したのか、逆に察し切れなかったのか、彼はひどく深刻そうな表情で姫を見つめると
「─お濃」
何か言いたげに唇を軽く上下させながら、そっと姫の艶やかな黒髪を撫でた。
髪に触れる信長の手は、宝物を扱うように優しかったが、信長の口からはそれ以上言葉が漏れることはなかった。
まるで蟠(わだかま)りが残るような、居心地の悪い空気が二人の間に流れた時
「ご無礼つかまつります──」
池田(勝三郎)恒興が小走りにやって来て、信長の足元に控えた。
信長の手が唐突に姫の頬から離れ、彼は狼狽顔で己の乳兄弟に目をやった。
「恒興か。何用じゃ?」
「殿、急ぎ御書院の方へお出座し下さいませ。守山城より織田信光様がお越しにございます」
「叔父上が?」
「是非とも殿のお耳に入れたき、大事なる報を持って参られた由」
「報じゃと」
信長の細く整えられた眉が、一瞬ぴくりと波打った。
このような時分での、それも火急の訪問である。
大方今川か、または此度の清洲の一件が絡んでいるのであろうと察した。
が、大事なる報とは何であろう…。