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「されど、殿。かような真似は、今回限りになされませ」
と、妻らしく忠告を入れた。
「平手殿も他の皆々も、いつ戦で命を落とすやも知れぬ…そんな死と隣り合わせの中で、懸命に殿にお仕えなされているのです。
左様な方々のお心を試すような真似は、これきりにして下さいませ」
「それくらいの事──そちに言われずとも分かっておるわ」
「それならばよろしゅうございます」快速瘦面
濃姫は、ふっと穏やかな微笑を湛える。
「…それから殿、平手殿の件でございますが」
「何じゃ」
「あのお方ならば、きっと大丈夫でございます。あなた様が赤子の頃より、ずっと殿一筋で生きて参られたお方ですもの。
近い内に、ご子息の駿馬を伴って現れ、殿に揺るがぬ忠心をお示し下さりましょう」
「……」
「平手殿をお信じなされませ」
憂う夫を励ますかのように、濃姫はこっくりと頷いた。
そんな姫を見据えている、信長のきつく強張った表情が、ほんの少しだが緩みを見せた。
やおら彼は、ははっと低い声で笑うと
「お濃よ」
「はい」
「何回も言わせるな。それくらいの事、そちに言われずとも分かっておる。平手の爺の事ならば特にな」
「それはそれは。まことに失礼つかまつりました」
「まったく…。そちのせいで、狩りに出向くのがすっかり遅れてしもうたわ」
信長はそう言って、安堵を得た面差しに、にっと白い歯を覗かせるのだった。
しかし、そんな安堵もほんの束の間…。
五郎右衛門への説得が思うようにいかなかったのか、はたまた政秀自身が信長の駿馬献上の意図に気付いていないのか、
それから幾日経とうとも、政秀が信長に馬を献上する気配は一向に訪れなかった。
こうなると信長の方も引くに引けず、初めに無礼な態度で駿馬献上を断った五郎右衛門との不和を理由に、あえて政秀との距離を置き続けた。
だが、この選択により更に状況は悪化。
気付いた頃には、この頑固な主と生真面目な傅役はすっかり疎遠となってしまったのである。
この思いがけない事態には、濃姫も当惑してしまい
『 このままではならぬ…。家督を継がれたばかりの殿には、それこそ平手殿のような、心利きたる優れた御重臣が必要じゃ 』
『 何としてでも政秀殿に、殿のご本心にお気付きいただき、一日も早くご関係の修復に努めていただかねば 』
と、焦りを募らせるのだった。
そんな最中──
「山口教継殿、及び教吉(のりよし)殿が御離反!東国へ逃亡の由にございます」
予てより懸念の内にあった鳴海城主・山口教継が、子の教吉共々織田家から離反し、駿河の今川義元に寝返ったのである。
修築した笠寺城に葛山長嘉、三浦義就、岡部元信ら今川勢を引き入れた教継は、鳴海城を教吉に守らせ、自身は桜中村城に立て籠もった。
これを受け、翌天文二十一(1552)年四月十七日、信長は八百の兵を率いて那古屋城を出陣。
対して、鳴海城を守っていた教吉は千五百の兵で赤塚に出陣し、これを知った信長勢も同地に進軍して戦闘を行ったのである。